今の私を見て、皆さんによく言われます。
「書道教室を発展させたくて、セールスライティングを学んだんですよね?」
ふつう、そう思いますよね?(笑)
・・・それがね、実はそうじゃなかったんですよ。
むしろ、書道教室なんてものはビジネスにはならないと思っていました。
今日は突然ですが、6年前のことを振り返ってみることにしました。
きっかけは、1冊の本でした。
会社員の妻に起業を勧める内容でした。
当時、よく新聞の広告に出ていて、気になっていた本の一つです。
その本によると、会社員の妻こそが、起業に向いている人種だというのです。
理由は色々書いてありました。
1.いきなり会社を辞めて起業しても、もし失敗してしまったら、にっちもさっちもいかなくなる。
だから、夫は会社員のままで給料を稼ぎ、妻に起業させればよい。
そうすれば、もし失敗しても、食うに困ることはない。
2.その上、夫が会社員ならば、その会社員という身分が担保となって、借金することができる。
起業のための資金ができる。
3.さらに、主婦という性質は、物事をうまく推し進めていく能力がある。
へ~。そんなものかな~?
今ならまだ主人は会社員。
だけど、あと数年で、定年だな~。
やるなら、今かな♪
それまで、専業主婦を20年もやってきた私でした。
起業なんて、頭の片隅にも考えたことはありませんでした。
でも、その本を読んだ時にちょっとだけ、楽しい気分になりました。
起業に必要なことが書いてある本はないかな?と、探しました。
パソコンには詳しくありませんでしたが、「起業」という文字を打ち込んでみました。
その時のことです!
パソコンがいきなりしゃべり始めたのです。
「これは、僕の魔法のペンです。」
長い長いビデオセールスレターでした。
会社員の男性がセールスライターになるまでの話が、動画で流れました。
小一時間もあるビデオに、くぎ付けになっていました。
何度も何度も再生して、繰り返し聞きました。
それが、セールスライターという職業との出会いです。
教材を買って、夢中で勉強しました。
今年のお正月にも、息子が言っていましたが、彼には心配をかけたようです。(苦笑)
「母さんは詐欺にかかってるんじゃないか?
ネットで変な教材を買って、勉強してる。大丈夫か?
って、思ってた。」と。
ご心配をおかけしたようで・・・。(笑)
勉強しているうちに、今でも師匠として仰いでいる人と出会いました。
当時30代のおにいちゃんでしたが、面白い人物だと思いました。
この人に教えてもらおうと、思ったのです。
東京へコーチングを受けに行きました。
そのコーチングの初日に、衝撃を受けました。
私はセールスライターになろうと思ってセミナーを受けているのに、開口一番、こんなことを言うのです。
「セールスライターで起業しようとしている人は、やめた方がいいですよ。
セールスライターなんかになるより、自分で売り物を持ってたら、それを売るのが一番話が早いですから。」
な、なんですって??
私、セールスライターになろうと思ってセミナー受けに来たんですけど。
新幹線に乗って山口から来たのに、なんてことをいうんだ?この先生は。
それに、私は売るものなんて持ってないし・・・。
だから、やっぱり、私はセールスライターになる道を模索していました。
習った通りに地元で起業家のためのセミナーに参加し、人と会って話をしました。
地元のある小売店の人と話をした時のことでした。
お互い、自分のことを色々話していました。
その人にこんなことを言われたのです。
「あなた、子どもに習字を教えているんだったら、そっちをしっかりやりなさいよ。
セールスライターだなんて、なんだかわけのわからないものになるより、習字教室を一所懸命やった方が絶対いいわよ。」
私はこんな返事をしました。
「少子化で子どもは少ないし、今は英会話だの、スイミングだの、いろんなハイカラな習い事があるんです。
習字をやりたい子なんて、昔のようにはいないんですよ。」
だから、私はセールスライターになろうとしてるのよ
と思いながら、頭の片隅で何かが引っ掛かるのを感じました。
・・・あれ?
「『でも私の業種は違います。』・・・なんてことはありません。どんな業種にも通用します。」
っていうのが、セールスライティングなんじゃなかったっけ?
そうか、書道教室をセールスライティングの技術でマーケティングすればいいんだ!
売り物がないなんてことはなかった。
書道という売り物があったじゃないかと、気づきました。
そう気がついて始めたのが、書道教室を人様に知らしめるためのマーケティングでした。
ええ、そうなんです。
書道教室は昔からやっていましたが、そのためのマーケティングはしていませんでした。
ボランティア感覚でやっていましたし、それがビジネスになるだなんて考えたこともありませんでした。
ちっともはやらない教室でした。(^^♪
でも実際には、
習字を習いたい子がいないんじゃなくて、
習字を習いたい子が、私を見つけられなかっただけなのでした。
自分の教室をマーケティングしよう。
自分のものなら、価格もオファーも、なんだって好きに決められる。
なんだ、自分の売り物を売る方が話が早いって、こういうことだったのかと、やっと気づきました。
そうはいっても、簡単なことではありませんでしたよ。(^^♪
何せ私は、結婚してから20年、育児と介護だけに自分の全エネルギーを費やしてきた専業主婦です。
若いころにはワープロでパソコン通信をしたこともありましたが、インターネットが普及した時にはすでに家の中。
髪の毛振り乱して、4人の育児と、同時進行だった義父の介護に明け暮れた日々。
当時の私が持っていたものは、子どもを育ててきた中で培われた忍耐力と、老人の心を読む介護力だけです。
世の中から、完全に取り残されたアナログ人間でした。
セールスライティングを学ぶには致命的な欠陥として、パソコンが分からなかったのです。
20年間も社会から隔絶されたところで生きてきた、シーラカンスのような存在でした。(^^♪
ところで、私の学歴はと言えば、入試に失敗した時に進学をあきらめたので、高卒です。
高校は進学校だし、理数科でしたから、同級生たちはみんな良い大学へ進んで、立派な職業についている人たちばかりです。
でも、一方で私は・・・。
だから、たまに会った同級生とは、話が合いません。
「高給取りのきらびやかな生活をしている人たちとは、住んでる世界が違うな~。」
そんな気がして、友達と会うことにも億劫になるような、劣等感も持っていました。
何となく、
「このまま埋もれてしまうだけの私であるはずはない。」
そういう意識も、心のどこかでささやいていたような気もします。
だからこそ、頑張れたのかもしれません。
セールスライティングを学び始めてから、多くの人たちが私の目の前を通り過ぎていきました。
新星のように現れて、あっという間にいなくなってしまう人たち。
私の知らないところでそのまま続けているのならいいけれど、挫折してしまった人も少なくはないです。
だけど、私はあきらめませんでした。
育児で培われた忍耐力と、「家庭に埋もれたままで終わっていく私であるはずがない」という、
世の中に対する反発心のようなもの(?)に、突き動かされた気がします。
それに、運がいいことに、私が書道教室のマーケティングを始めてから、すぐに成果が目に見えて現れました。
習ったことを忠実にやってきただけなのですが、ささやかながらも、確実に成果が見えていました。
だから、「教えられるままに進んでいけばいい」という、
確信をもって進んでこれたのも、今、こうして続けていられる理由の一つです。(*^^)v
卵が先か、鶏が先か?
私の場合、セールスライティングの勉強をしたのが先で、書道教室をマーケティングしました。
でも、元々最初からやっていたのは、21歳の時から教えていた書道教室があったからこそ、マーケティングの練習ができたのでした。
「自分の売り物を持っていたら、それを売った方が話が早い。」
全く、最初に言われた、そのままでしたね。(#^^#)
売り物なんて持っていないと反発しましたけれど、よく考えてみたら、書道という売り物を持っていました。
だから、もしかして、最初だったのは、やっぱり、書道教室だったのでしょうか??(笑)
起業すればいいのかと思ったあの日。
セールスライターという道を知ったあの日。
負けるもんかと思ったあの日。
そして、何にもできなかった私に、指導してくれた、あの人。この人。
今はもう、連絡を取るすべのなくなってしまった人もたくさんいるけれど、たくさんの人たちから、たくさんのことを学んで、今ここに私はいます。
導いてくださった多くの方たちに、感謝の気持ちを伝えたいです。(#^^#)
みんなみんな、どうもありがとうございます。
武内は、これからもっともっと、飛躍します。\(^o^)/
出張着付けの仕事をやめて、マーケティングを本気でやることに決めた今、いろんなことを思い出しながら綴ってみました。(*^^)v
追伸
パソコンが分からなかった私が、どうやって克服したか知りたいですか?
今だから笑い話で語れます。(#^^#)
こちらをどうぞ。